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総合トップ江ノ電ファンページ江ノ電博物館当方見聞録第1章 第1回 開業~戦時統合(平成15年10月号掲載)
当方見聞録

第1章江ノ電バスの軌跡~日本のバス創業100周年によせて~

平成15年10月号掲載

第1回

開業~戦時統合

乗合バス事業開業に伴い当社が最初に購入を予定したバス

明治36年、京都において最初の定期路線が開業して以来、日本のバスは本年9月に100周年をむかえました。そして、これを記念して各地でイベントが開催されたのは記憶に新しいところであります。

 ところで、当社のバスも昨年開業75周年をむかえたのをご存知でしょうか。ご案内のように、江ノ電線は明治35年に初代江之島電気鉄道(当社とは別法人)が開業させ、昭和3年に当社(大正15年設立)が承継した鉄道でありますが、これよりも前に当社は辻堂付近において乗合バスの営業を行なっていました。つまり、当社としては昭和2年に開業したこのバスの営業が最初の事業ということになります。

 辻堂駅を起点に2路線で運輸を開始したバス事業には、当時を代表するフォード製の車両2台を用意し、専用の道路建設も検討されました。しかし、前述のように、昭和3年に鉄道事業を承継した後は、この育成に全力を傾注したためにバス事業は昭和4年に廃止され、専用道路の建設も実現には至りませんでした。

戦前に活躍したバス

このように、栄えある最初の事業として開業したバス事業は、わずか2年足らずで本業着手までの橋渡しという役目を終えましたが、その廃止直後に、鎌倉江ノ島乗合自動車商会が江ノ島-鎌倉駅間において乗合バスを開業したことにより、鉄道の防衛策として再びバス事業への参入が必須となりました。

そして、この営業権を昭和6年に譲り受けたのを機に、当社のバス事業は本格化し、昭和13年までに藤沢・辻堂・茅ヶ崎・平塚方面へと路線網を拡張していきました。当社バスのコーポレートカラーであるオレンジ色もこの頃に確立され、鉄道と並ぶ両輪として成長の一途をたどったのであります。

ところがこうした隆昌機運もつかの間で、一転バス業界に暗雲がたちこめ、当社も多大な影響を受けました。太平洋戦争の勃発を機に深刻化した燃料事情と戦時統合政策の推進による影響がその要因です。こうした背景のもと、昭和19年8月までに全てのバス路線が営業休止を余儀なくされ、営業権も同年末に神奈川中央乗合自動車(現神奈川中央交通)に統合というかたちで譲渡いたしました。
(『江ノ電の100年』より抜粋)

『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。