第2回
江ノ電線は、江ノ島〜腰越間の併用軌道から鎌倉市内を走りますが、古都の風情は極楽寺駅先のトンネルを境に色濃くなります。明治40年2月に完成したこのトンネルは、全工程が人力で掘りぬかれ、江ノ電建設上最大の難工事だったと言われています。また、あまり知られていませんが、トンネル名は開口部ごとに異なり、藤沢方は『極楽洞』、鎌倉方は『千歳洞』と呼ばれています。 トンネル開通により、同年8月江ノ電は鎌倉の大町まで路線を延長し、大仏参拝という新たな需要をもたらしましたが、さらに若宮大路上を鶴岡八幡宮二の鳥居前まで軌道を敷設し、明治43年11月4日には藤沢?小町(後に鎌倉と改称)間の全線が開通しました。以来、若宮大路上を走る電車は鎌倉風情のひとつとして定着していましたが、昭和20年に江ノ電線が地方鉄道法の適用を受けるようになったのを機にこの同路上の併用軌道は廃止され、昭和24年3月1日より鎌倉駅は横須賀線の西側に移り現在にいたっています。
大仏や八幡宮をはじめ、鎌倉には由緒ある神社仏閣が数多く点在していますが、これらを効率的にご案内できるようにと、昭和28年6月より運行しているのが定期遊覧バスです。平成15年には開業50周年を迎えました。最初に運行を開始した『Aコース』は、鎌倉駅前を起点に、鶴岡八幡宮・建長寺・円覚寺・鎌倉宮・長谷観音・大仏などをめぐり、現在の『しずか号』の前身にあたります。なお、コース名に鎌倉ゆかりの人物名を使用するようになったのは昭和44年からで、現在運行中の『しずか号』・『よしつね号』・『よりとも号』のほか、『べんけい号』・『まさこ号』がありました。 ところで、源頼朝が鎌倉の地に幕府を開いたのは、山と海に囲まれた環境が要塞と海運基地の役割を果たしているからと言われていますが、今では、こうした自然環境が古都の情緒を惹きたて、同時に箱庭のように美しい鎌倉を演出しています。そして、その中を走る江ノ電もまた、1世紀にわたる来歴によって古都の景観に同化し、観光名所のひとつとして輸送の使命を超越した役割を担っています。-完-
(参考文献『江ノ電の100年』)
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |