第1回
関東大震災による腰越付近の被害(星野写真館所蔵)
大正12年9月1日午前11時58分、突如発生した関東大震災によって関東地方は一瞬にして壊滅状態に陥りました。湘南地区においても、多数の家屋や由緒ある神社仏閣が軒並み倒壊するなど被害は大きく、住民は避難生活を強いられました。川口村(片瀬町を経て昭和22年藤沢市に編入)における救援物資の配給は、江ノ電の片瀬(現江ノ島)駅構内でも行われ、被災者が長い列をつくっていたそうです。
当時、東京電灯(東京電力の前身)によって経営されていた江ノ電線(江之島線)もまた、発電所の崩壊や土砂流失による軌道の埋没をはじめ、随所で甚大な被害を受けています。その被害総額は、年間運輸収入の26%に及んだそうですが、復旧させるための投資力と、失った発電所に代わる電力供給源の確保等を考え合わせると、震災の発生が東京電灯時代であったことは不幸中の幸いといえましょう。
懸命の復旧作業は夜を徹して行われ、9月25日にはほぼ全線の運転が再開されましたが、この震災で開業以来活躍してきた栄えある1号車を焼失しています。なお、1号車の焼失にあたって、新造車による補充はされまませんでしたが、同じ東京電灯経営の渋川線から車両を転用し、車両不足を補っています。ちなみにこの渋川線は、江ノ電線同様大正10年に同社が買収した鉄道で、渋川を起点に高崎・新前橋・伊香保を結んでいました。
他方では、当時設立されていなかった当社においても、震災の発生は転機となりました。『東海土地電気』の名で、茅ヶ崎ム鵠沼および辻堂ム辻堂海岸の鉄道敷設免許を得ていた発起人たちが震災を機に起業の断念を余儀なくされ、当社は、その意志を継いだ若尾幾太郎らによって設立されました。歴史に「もしも」という仮定はありえませんが、もしも、震災の発生がなく若尾氏が経営に参画していなければ、当社による江ノ電線の経営は実現していないかもしれません。なぜなら同線は、当社が食指を動かす前に他者への譲渡が決まっており、それを譲り受けるには東京電灯と当社の経営に携わる同氏の存在が欠かせなかったからであります。
― 完 ―
(参考文献『江ノ電の100年』)
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |