第2回
昭和12年7月に勃発した日中戦争は、16年12月のハワイ真珠湾攻撃を機に太平洋戦争へと拡大し、この間、政府は“挙国一致”を基本理念に「国家総動員法」を公布、にわかに戦争は軍部だけの問題ではなくなっていきました。さらに、同時に交付された「陸上交通事業調整法」を背景に運輸事業者は地域ごとに統合され、13年10月に当社が東京横浜電鉄の傘下となったほか、東京近郊では、東京横浜電鉄・小田急電鉄・京浜電気鉄道・京王電気軌道が合併し東京急行電鉄が誕生しています。
そして、こうした戦時体制の強化はガソリン供給の統制へと波及し、バス事業者の多くが運行休止や事業の廃止を余儀なくされました。当社においても、昭和15年10月にハイヤー事業を廃止したのをはじめ、代用燃料車により運行を確保していたバス事業も年次運行休止に追い込まれ、19年末には神奈川中央乗合自動車(現神奈川中央交通)に統合されました。
一方、鉄道部門でも、いやおうなしに深まる“国家総動員”の様相の中で従業員の出征が相次ぎ、「女子勤労挺身令」の施行を機に採用された女性労働者たちが車掌業務や運転業務をこなし、混迷する戦時輸送を支えていました。また、幸いにも当社沿線には空襲による被害はありませんでしたが、警報は毎日のように鳴り響き、その都度、電車を木陰などの死角に停めて旅客を各駅に備えられた待避壕や防空壕に誘導するなど、緊迫した状態が続いたといいます。 この戦争が残した爪あとは、被災地はもちろんのこと、日本中いたるところにその影響を及ぼし、苦境に立たされた国民は、生活の場、あるいは食糧を求めての奔走を強いられました。こうした中で当社にも、戦後の復興と民生安定の担い手として輸送の確保が要求され、戦後しばらくは、荒廃を極める電車に食糧の買出しに向かう人々が殺到する光景が見られました。
― 完 ―
(参考文献『江ノ電の100年』)
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |