第1回
現在の江ノ電では、わずか10㎞の路線に15個もの駅が存在していますが、『軌道』として全線開通した当初、その数は実に39駅にも及んでいました。当時の営業距離(10.27㎞)に対して、およそ260m間隔で駅があったことになります。また、この中には、「袂ヶ浦」「音無橋」「海岸通」など、味わい深い名称の駅も少なくなく、いかにもリゾート地を走る鉄道といった趣が伝わってきます。 その後、大正初期に「矢沢」を廃止し「和田塚」と「琵琶小路」を新設したことにより、一時的に駅数は最多の40箇所となりましたが、昭和6年7月の13駅を皮切りに、戦時中の休止9駅などが廃止され、23年4月時点で駅数は13箇所に整理されました。なお、13駅時代は短く、同年7月に「柳小路」と「由比ヶ浜」を再開設(同時に川袋を移設のうえ「石上」に改称※旧石上駅は昭和6年廃止)したことにより15駅となり、さらに、28年8月(日坂→鎌倉高校前)と33年12月(西方→湘南海岸公園)の改称を経て現在に至っています。 |
その他、開業以来存続している駅もほとんどが移転や改称を経ており、100年の歴史の中で変化が見られないのは、「鵠沼」「稲村ヶ崎」「極楽寺」「長谷」の4駅に限られます。ちなみに、もっとも知られている駅名の改称は、昭和4年3月に「片瀬」を「江ノ島」に変更したことでしょう。これは、建設中の小田急江ノ島線を意識して実施したもので、主眼は観光客の誘致に置かれていました。こうした中で、「七里ヶ浜」が現在の位置に落ち着くまでに数次の移転を繰り返したほか、昭和初期には、海水浴客やバンガロー(第5章参照)の宿泊客の利便を図るために臨時駅「西浜」「七里ヶ浜キャンプ村前」が開設されるなど、短距離路線ながら駅の変遷には複雑な経過が見られます。 このように、江ノ電の駅は試行錯誤の繰り返しによって整理されてきましたが、一時的とはいえ、現在より数が少ない時期があったのは興味深く、あまり知られていないのではないでしょうか。また、同じ意外性という面で、大正末期から昭和初期に見られた複線区間は特筆されましょう。なおこの複線は、「大境」を中心に283mに及び、その跡地の一部は現在、車両搬入基地として使用されています。 (『江ノ電の100年』より抜粋) |
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |