第2回
本章第1回で触れたように、江ノ電の駅は、永い歴史の中で移転や名称変更を重ねてきましたが、起終点の藤沢と鎌倉の両駅においても例外になく、ともにかつては現在と異なる位置で営業していました。ちなみに江ノ電の起点は、その知名度から鎌倉駅と思われがちですが、正式には藤沢駅が起点となります。したがいまして、藤沢行きが“上り”、鎌倉行きが“下り”として運行されています。
開業時より昭和49年6月6日までの間、藤沢駅は国鉄の駅に隣接するかたちで地平にありました。しかしこの間、一貫して同一箇所に開設されていたわけではないようで、明治期の写真と記録が残る昭和30年代以降の写真ではあきらかにその位置が異なります。なお、残念ながらその移設の経緯は資料がないために不明ですが、移設後の同駅においては、4本もの線路が引き込まれるなど、起点にふさわしい趣があり、バス乗り場も駅舎に横付けされていました。また、地平時代の逸話として、終戦直後に東京急行電鉄より電動貨車を購入した際に、小田急線と当社線の線路をポイントで結び、同車を搬入したこともあったそうです。
このように、70年以上もの間、江ノ電藤沢駅は乗り換え面で有利な位置にありましたが、一方では、これが藤沢駅南口広場を遮断し、駅前の雑踏を形成する要因でもありました。こうしたことから、同駅は駅前広場の拡張を骨子とする藤沢市土地区画整理事業の実施にともない現在地への移転を余儀なくされたのであります。
同様に、若宮大路上に「小町」の名で開業した鎌倉駅も、大正期の駅名変更と2度の移転を経て現在の駅が三代目になります。開業当初の位置から100mほど鶴岡八幡宮寄りに位置を変えた最初の移転については、その目的や時期など、詳しい事情はこちらも不明ですが、昭和24年3月の移転では併用軌道の廃止と国鉄鎌倉駅乗り入れという、明確な目的がありました。江ノ電は、昭和20年11月27日に『軌道』から『地方鉄道』へと変更されたことにより、併用軌道上にある駅の廃止が必須化し、その対応策として現在の位置に移されたのであります。なお、横須賀線との乗り換えの利便性を向上させるための試みは、実現には至らぬものの、戦前にも支線の敷設(同線鎌倉駅西口乗り入れ)や路線の延長(同東口乗り入れ)というかたちで計画され、後者にいたっては特許(認可)まで取得しました。
そして、観光や生活の足としてご利用いただいている江ノ電の最大の強みは、藤沢・鎌倉の両駅でJRの幹線と接続していることで、これによって一方通行的な旅客の集中が避けられ混雑緩和の一助になっています。さらに、変化に富んだ車窓を提供できるのも、風光明媚な相模湾を望みながら湘南随一の商工都市藤沢と古都鎌倉という対照的な地域を結んでいるからであります。全線10kmの小さな旅ですが、旅情をかきたてる魅力がいっぱい詰まっています。是非江ノ電に乗って感動をお持ち帰りください。
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |