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総合トップ江ノ電ファンページ江ノ電博物館当方見聞録第2章 第2回 将来性の伝承(平成16年2月号掲載)
当方見聞録

第2章ふたつの江ノ島電気鉄道

平成16年2月号掲載

第2回

将来性の伝承

第2章

幾多の困難を乗り越えて明治43年に全線開業を成し遂げた江ノ島電気鉄道は、皮肉にもその翌年の44年10月に、神奈川県内屈指の電力会社横浜電気に吸収合併され、10余年の社歴に幕を降ろしました。さらに、この横浜電気もまた大正10年5月に、より規模の大きな東京電灯(東京電力の前身)に吸収され、江ノ電は東京電灯江之島線と呼ばれるようになりました。資本主義が浸透しつつあった当事は、こうした弱肉強食的な合併が繰り返されていたのであります。一方では、事業の拡充により資力を伸ばしていた事業家たちがその余力で新たな会社を設立し、関東大震災後の経済復興に貢献していましたが、大正15年7月10日に設立された当社もこうした中のひとつと言えましょう。

当社の起源は、大正10年6月に東海土地電気の名で茅ヶ崎~鵠沼間(後に茅ヶ崎線と命名)および辻堂~辻堂海岸間の鉄道敷設免許を取得したころに遡り、当初は付帯的にリゾート開発を中心とする不動産事業の経営も計画していたようです。しかし、大震災の発生により発起人の多くは起業を断念せざるを得ない状況となり、その計画は、生糸貿易等で成功を収めていた若尾幾太郎(当社初代社長)らに受け継がれました。同氏をはじめとする設立当時の当社経営陣は、創立総会において社名を江ノ島電気鉄道に定め、取得していた鉄道敷設免許区間の終端を鵠沼から片瀬に改めたうえで、新たに片瀬~大船間(大船線)の免許を取得いたしました。東海土地電気の名で創立総会を招集しているにもかかわらず、江ノ島電気鉄道に改めた理由は、目的をリゾート内輸送から江の島を中心とする観光輸送に切り替えたためのようで、上記以外にも片瀬と江の島島内を結ぶロープウェイの免許を取得しています。さらに免許の取得には至りませんでしたが、大船線の延長線として大船~大崎(東京)間の鉄道建設も計画されていました。

江ノ電が当社の経営となり最初に就役した100形ボギー車(金子利親氏所蔵)

江ノ電が当社の経営となり最初に就役した100形ボギー車(金子利親氏所蔵)

このように、設立当初の当社は江ノ島を基盤に東京市内直結も視野に入れた鉄道の建設を計画しており、江ノ電は近隣の鉄道に過ぎませんでした。ところが、これら予定していた各路線の建設は用地確保に難航したこともあり、ついに実現されませんでした。そして、こうした背景のもとで当社が視点を向けたのは、金融恐慌の渦中に、東京電灯が合理化策として整理しようとしていた江之島線の買収で、昭和3年5月に譲渡契約を締結し、同年7月1日より営業を開始いたしました。大手電力会社である東京電灯にとっては付帯事業に過ぎない江之島線も、当社から見れば業績を伸ばしつつある優良事業であり、同線の譲受はまさに将来性の承継でありました。
以来、当社はこの江之島線、いわゆる江ノ電線を軸にさまざまな事業を展開し現在に至っておりますが、これからも承継した将来性を形にすべく、さらなる発展に向け走り続けてまいります。

『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。