第3回
昭和30年代中期から40年代初頭にかけてのわが国では、高度経済成長を背景に空前のマイカーブームが到来し、『モータリゼーション』なる言葉が使用されるようになりました。そして、モータリゼーションの進展が運輸事業者の脅威となったのは言うまでもありませんが、特に湘南地区においては、江の島が東京オリンピックの競技会場のひとつに決定されたために島内アクセスが整備され、いち早くモータリゼーションの波が押し寄せました。
当社におけるこうした影響は、最初に鉄道事業に見られ、昭和39年度を境に輸送人員が漸減傾向に転じています。さらに、500形車両導入をはじめとする近代化施策の効果が現れる前に受けたダメージは大きく、同事業の廃止さえも検討されました。なお、結果的に当社は、多角経営の効果により廃止は回避されましたが、全国的にも同様の理由から廃線となった鉄道は多く、その数は高度経済成長期の間だけでも50路線を超えています。
その後、湘南地区における交通渋滞が慢性化したことにより、多くの観光客が自動車を敬遠するようになったために、鉄道への影響は緩和されましたが、一方では、渋滞のあおりを受けて円滑な運行確保が困難になりつつあったバス事業への影響が顕在しはじめました。さらに、レジャー利用が中心であった自動車がショッピングや通勤者の送迎にも用いられるようになると、次第に利用者のバス離れが深刻化し、慢性的な輸送人員の低下が現在も続いています。
このように、モータリゼーションの進展は運輸事業者に対して多大なる影響をもたらしましたが、視点を変えれば、新たな交通分野への興業意欲を掻き立てる契機でもありました。こうした中で、当社は自動車学校に着目し、昭和39年3月2日に株式会社江ノ電自動車学校を設立、同年8月より46年まで同校名で開校していました。開業月の入校者数が350人を超えるなど、好調なすべり出しを見せた同校は、当時としては先駆的な託児施設を併設したことにより女性にも高評価を受け、多くの女性ドライバーが巣立っています。ちなみに同校は現在、も三共自動車学校が運営しております。
― 完 ―
(参考文献『江ノ電の100年』)
『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。400ページにわたるその構成内容は、鉄道以外の事業にも焦点をあてることにより社史としての平準化をはかり、新たに発掘された史料や貴重な写真も多数収録されております。 |